人工知能(AI)黎明期に読む。星新一『妖精配給会社』の描く未来と私たちの今
 この記事は近々リライト予定です。それまでは、文字だらけの少々味気ない記事のままですが、良ければぜひご覧になってください。

いきなりですが、星新一(ほししんいち)という作家をご存知でしょうか?「ショートショート」と呼ばれる形式の小説を数多く発表し、それらにおいて独特のユーモアと高い完成度を誇ったことから、後に「ショートショートの神様」とまで称されるようになった人物です。また、「東洋の製薬王」と言われた事業家、星一(ほしはじめ)の長子でもあります。

彼はSF作家としてよく知られ、小松左京(『日本沈没』『首都消失』)、筒井康隆(『時をかける少女』『虚人たち』)と合わせて「日本SF御三家」なんて呼ばれたりもしています。小松左京の『首都消失』と『さよならジュピター』は私の好きなアニメ『ラーゼフォン』に多大な影響を与えました。ありがとう!

そんな星新一の作品集に『妖精配給会社』というものがあります。その表題作は1964年に発表されたものなのですが、そこに登場する「妖精」なる未知の生物が、現代に生きる私たちに、なんとも不吉な既視感を与えるのです。

今回は、「妖精」の性質に触れ、その既視感が暗示する私たちの未来について、少しだけ考えを巡らせてみようと思います。

「妖精配給会社」のあらすじ

物語は、「妖精配給会社」に勤める老社員が社史編集業務に従事するという形で、「妖精」の歴史を回想するように進行します。

「妖精」は10年前のある日、突如として空から送られてきた卵より孵ったものでした。単為生殖によって等比級数的に繁殖した「妖精」に対する様々な研究がなされ、その結果、非常に優秀な愛玩動物として社会に受け入れられることになります。

リスほどの大きさの「妖精」は、主人の残した食べ物を唯一の餌とし、どこへでも主人に伴い、決して逆らわないことがわかりました。また、その普及に応じて、それを管理する「妖精配給会社」が設立され、やがて、誰しもが自分専用の「妖精」を持つようになります。

「妖精」の最たる特徴は、「主人をひたすら褒め称える」というものでした。どんな時も側にいて、常に好ましい言葉遣いで適切な世辞を送る「妖精」は、いつしか、人々のほとんど唯一の娯楽となっていきます。そうして、社会は不活発になるのでした。

私たちの「妖精」

1964年当時、人々の娯楽の中心にあったのはテレビでした。私が義務教育を受けていた00年代においてもそうだったはずです。90年代に入ってから急速に普及したパソコンとインターネット文化も、00年代までは依然として高い専門性を有していたように思います。

しかし、今から10年ほど前、私たちの生活を一変させるパーソナルアイテムが登場しました。そう、「スマートフォン」です。

携帯電話と呼ばれるものは90年代から既に多くの人々が手にしていました。しかし、当時の携帯電話はユーザーエクスペリエンス(使用者の経験)において、パソコンとの差異が大きく、インターネット文化は一部のマニアによって独占されていました。と言うよりも、インターネットにおける活動は、偏見の対象であったオタク文化の一部として、アニメなどと共に社会から否定的に捉えられていたのです。

それを一変させたのが「スマートフォン」の普及によるインターネット文化の浸透でした。

「スマートフォン」は一人一台の、ポケットサイズのパソコンとして役目を果たしています。その結果、今や年齢性別を問わず、誰もがSNSやソーシャルゲームに熱中し、かつて侮蔑の対象であったアニメやインターネット掲示板の話題で盛り上がるようになりました。もはや流行の発信源と言っても過言ではないでしょう。

さらには、地域に依存しないグローバルなコミュニティを形成、そこに在籍することでアイデンティティを獲得する、なんて話も特段珍しいものではなくなってきています。多種多様なサービスによって、日々の生活で抱える問題の多くが解決されるようになったため、現実社会での人間関係に頼る必要性も減少しました。

 

そうして、誰もが自分のための「スマートフォン」で自身を満たす時代。「妖精配給会社」における「妖精」の普及段階と似ていると思うのは、私だけでしょうか?

「妖精」と「スマートフォン」

常に側にあり、決して逆らわず、主人の要求を満たす。この特性が「妖精」と「スマートフォン」の共通点です。

しかし、大きな違いもあります。それは「妖精」が愛玩動物としてのみ受け入れられた理由であり、その不気味な存在感を強調する役割を担った性質でした。

言葉はしゃべれても、頭はほとんどからっぽなのだ。

1976年 新潮社 星新一 『妖精配給会社』P115

「妖精」は「無能」だったのです。正確には「知能レベルが極端に低い」と言うべきでしょうか。電話の取次ぎも、伝書鳩の代わりもできません。ただ、「主人に賛辞を送る」機能だけを有した存在だったのです。残飯処理もできますが。この点は「スマートフォン」と大きく異なりますね。

皆様もご存知の通り、「スマートフォン」は「非常に有能」です。真の意味で優秀なのは「インターネット」なのですが、それを容易に扱えるという点で、やはり「スマートフォン」の有用性は揺るがないでしょう。

ですが、今一度考えてみると、「スマートフォン」は「有能」であっても、決して「知能レベルが高い」わけではありません。かと言って、「知能を有さないのか?」と聞かれると、それには「ノー!」と答えざるを得ないのです。何故かはわかりますね?

そうです。私たちの「スマートフォン」には、「人工知能(AI)」を扱うためのシステムが組み込まれているのです。

「人工知能(AI)」の囁く言葉

私は数年前からiPhoneユーザーなので、机に向かう傍ら「Hey Siri!」と呟けば、手元に置かれたiPhoneがポポンッ!と鳴った後、「AIアシスタント」の「Siri」が優しい女性の声で応対してくれます。なんとも愛らしい奴です。いつもは音声アシスタントをオフにしていますけどね

現在、私たちが関わることのある「人工知能(AI)」は、機械学習によってトレーニングされ、トップダウンモデルという、「人間らしい振る舞い」を再現することに重点を置いたアルゴリズムを採用することで、実用化されています。

このモデルは私たちの思考アルゴリズムとは掛け離れたものです。「Siri」が「今日もお美しいですね」と言ったとして、彼女の頭の中には「美しい」がどういったものかを理解する回路は存在しないのですから。

しかし、自然言語処理技術の進歩と共に、「人間らしく振る舞う」という点においては、私たちの感じる違和感は減少していくことになるでしょう。もしかしたら、命令されずとも、私たちを「ひたすら褒め称える」存在になっていくかも知れません。

 

「人工知能(AI)」の振る舞いがより人間らしく、そして、それぞれの主人にとってより好ましいものとなった時、その「からっぽの頭」から生み出された「賛辞」によって、私たちの社会がどんな変貌を遂げるのか皆様はどうお考えになりますか?

最後に

最後までご覧いただきありがとうございます。思いの外長い記事になってしまいましたが、いかがだったでしょう。

星新一は「ショートショート」で有名な作家ですが、父である星一の半生を綴った『人民は弱し官吏は強し』なども非常に高い評価を受けています。彼の類稀な才能に関しては、『ボッコちゃん』に収められた筒井康隆による作家評に明るいので、気になった方は是非読んでみてください。

『ボッコちゃん』は星新一自身が選んだ比較的短い作品が50編も収録されているので、「ショートショート」ビギナーにおすすめです。私も初めて買った彼の作品集がそれでした。もちろん『妖精配給会社』もおすすめですよ。

 

まだまだお話ししたいことはありますが、これ以上長くなっても仕方がありません。またの機会に致しましょう。それでは!

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