アメリカ史の名舞台アポマトックスに思う「争いに勝つことが全てじゃない!」
 この記事は近々リライト予定です。それまでは、文字だらけの少々味気ない記事のままですが、良ければぜひご覧になってください。

いきなりですが、皆さんは海外ドラマの『プリズン・ブレイク』をご存知でしょうか?めっちゃ好きなんです私。そのシーズン4エピソード8のとある場面で、闇の組織の女工作員グレッチェンが、ある女性とのわだかまりを解くためにこんな話をするのです。

南北戦争で北軍が南軍をアポマトックスで包囲した時のこと、南軍のリー将軍が「これ以上血を流すのは無益」として降伏を決意した。そして朝は殺し合っていた兵士が、午後には敵味方の別なく歩み寄りタバコとコーヒーを交換した

米国史に名を残すこの出来事は、いがみ合っていた者同士が手を取り合う物語の代名詞としてよく知られているものです。しかし、残念なことに日本ではあまり馴染みがありません。

そこで今回は、その顛末から私たちの身近な争いのあり方を考え直すべく、「アポマトックス」での歴史的会見を振り返ってみようと思います。

「アポマトックス」の物語

アメリカ南北戦争とは

そもそも南北戦争がどういう戦争だったのかに触れておきましょう。アメリカは1776年の独立以来、領土を広げながら南北で異なる産業を発展させていきました。北部は工業、南部は奴隷の労働力に頼ったプランテーション(農業)です。やがて、それぞれの基幹産業の違いからくる政治体制や貿易政策に関する主張の対立も広がっていきました。

そして、「奴隷解放の父」として有名なあのエイブラハム・リンカーンが第16代アメリカ大統領として就任した1861年、奴隷制度の拡大に反対する彼とその政府に対抗するため、南部の州がアメリカ連合国を結成します。それから数か月後、連合国(南軍)が合衆国(北軍)の部隊に砲撃を始めたことで戦端が開かれたのでした。

そんな南北戦争が終結したのは開戦から4年後の1865年のこと。そのきっかけとなった出来事が、バージニア州アポマトックスにある小さな農家で開かれた、北軍司令官ユリシーズ・S・グラントと南軍司令官ロバート・E・リーの会見だったのです。

北軍司令官グラントと南軍司令官リー

ユリシーズ・S・グラントは、言ってみれば「冴えない男」でした。1822年にオハイオ州で製革業を営む家庭に生まれ、陸軍士官学校を下位の成績で卒業したのちにアメリカ・メキシコ戦争へ従軍、軍を離れてからはいくつかの事業で失敗を重ね、1850年代は父親の下で働いていた、そんな男です。

しかし、南北戦争が始まり戦線に復帰したグラントはその頭角を現します。アルコール依存症であった彼ですが、勝利への貪欲さが何よりも勝っていたのです。1864年、そんな彼の実力を認めたエイブラハム・リンカーンによって、グラントは北軍司令官に任命されました。

対するロバート・E・リーは、1807年にバージニア州の裕福な一族の元に生まれ、陸軍士官学校を次席で卒業した優等生でした。彼について良く知られていることが、士官学校時代に規律に関する減点を一度も受けなかったということです。リーは規律と名誉を重んじる「有言実行の男」でした。

そんな彼とグラントは、共にアメリカ・メキシコ戦争に従軍した同志でした。しかし、バージニア州が南部連合に合流すると、南軍として戦うことが自分の名誉に関わる義務であると考えたリーは、北バージニア軍の司令官として従軍します。米国史上屈指の名将と声価の高い彼の指揮する部隊に、物資や兵力で勝るはずの北軍は大いに苦しめられることになりました。

南北戦争開戦以前からその手腕を評価されていたリーですが、南軍全体の指揮を執ることになるのは1865年、北軍がバージニア州を攻略するためのアポマトックス方面作戦を開始するころでした。

アポマトックス・コートハウスの戦い

1865年4月9日の明け方。北軍はアポマトックス方面作戦の仕上げにかかりました。疲弊しきった南軍を包囲したのです。これを受けて南軍司令官リーは士官たちにとある提案をしました。「降参のために北軍のグラント将軍に会いに行く」というものです。高貴な指揮官ただ一人を除き、皆がそれに合意しました。

その日の午後、リーはアポマトックスの小さな農家にある一軒家にいました。そこに、愛馬シンシナティに乗ったグラントがやってきます。対面したリーとグラントは固い握手を交わし、アメリカ・メキシコ戦争で出会った時の話をしたあと、南軍の降伏手続きをしました。グラントの提示した条件は非常に寛大なものでした。

グラントは回顧録にこう記しています。「かくも長きにわたって勇敢に戦い、ある目的のためにこれほど苦戦してきた敵が降伏するのを見て、私は喜ぶ気になれなかった。たとえその目的が、私が思うに、これまで人民が戦ってきた中で最悪の目的のひとつだったとしてもである

こうして、米国史上最も多くの死傷者を出した戦争は幕を閉じました。亡くなった兵士の数およそ55万人、負傷者数十万人と言われるこの戦争を生き抜いた二人の司令官は、以降も互いへの敬意を忘れることなく過ごし、特にリーはグラントに対するいかなる侮辱も許さなかったと言います。

P.S.リンカーン大統領は、アポマトックス・コートハウスの戦いからわずか6日後の1865415日、南部連合の支持者だったジョン・ウィルクス・ブースによって暗殺されます。彼の大統領生活は南北戦争と共に始まり、その人生は南北戦争と共に終わったのです。

争いをやめるのは簡単じゃない

戦争に限った話ではありませんが、人は自らが費やした資源の量が多ければ多いほど、その対象への投資をやめることができません。この場合の資源とは金銭や時間、労力の他、戦争における兵士の命などを指します。

このような心理作用は、高速旅客機コンコルドの商業的失敗から「コンコルド効果」と呼ばれています。埋没費用効果、サンクコスト効果とも言います。争いが続けば続くほど、どこまでも追い込まれない限りそれをやめることができない、その一因がこの効果にあります。

勝利することで守られるものもありますが、そのために多くを失うことは必ずしも正しいことではありません。だからこそ、争いから身を引く時機を見逃さない将は優秀なのです。

私たちは日頃、些細なことで諍(いさか)いを起こしがちです。それによって失うものを考えず、そして失えば失うほど歯止めが利かなくなることに気が付きません。そのことをきちんと認識することができたなら、きっと多くの争いから遠ざかることができるでしょう。賢者は争いを好まないものですからね。

また、20世紀のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「『ゆるし』はゆるす者とゆるされる者とを自由にする」ものです。争いによって相手を憎み、相手を打ち負かすことに執着するというのは、自らを檻に閉じ込める行為に他ならず、それをやめることが誰よりも自分にとって有益なことなのだと言います。

リーのように不必要な争いを避け、グラントのように相手に寛大な心で対応する。それが、私たちの生活と私たち自身を豊かにするのだと、この「アポマトックス」の物語が教えてくれているように感じます。

最後に

最後までご覧いただきありがとうございます。以上、アメリカ史に名を残す歴史的会見についてのあれやこれやでした。少し冗長になってしまったように思いますが、楽しんでいただけましたでしょうか。

おまけ話なのですが、第二次大戦時にアメリカが急遽開発した「M3中戦車」は、イギリス仕様がグラント、アメリカ仕様がリーと呼ばれています。アメリカ人が如何に彼らを敬愛しているのか窺い知れる話です。「M3中戦車リー」はアニメ『ガールズ&パンツァー』で大洗女子学園ウサギさんチームが乗っていた機体ですよ!

また、北軍司令官グラントですが、実は南北戦争の後、その絶大な人気によってなんと第18代米大統領に就任します。しかし、彼の大統領生活はスキャンダルや汚職に塗れ、後世では「最悪なアメリカ大統領の一人」として数えられています。兵を率いる有能な司令官が必ずしも良き国の指導者とならないことは、また一つ教訓として覚えておくといいかも知れませんね。

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