Photo credit: oneredsf1 on VisualHunt.com / CC BY-NC-SA
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 この記事は近々リライト予定です。それまでは、文字だらけの少々味気ない記事のままですが、良ければぜひご覧になってください。

自身の外見に対する「理想」と「現実」のギャップ。美しさの基準は変われど、いつの時代のいかなる人もこのギャップに苦悩してきたであろうことは言うまでもありません。今回は、この悩みに立ち向かった先人たちの中から、今なお世界中で愛される名女優オードリー・ヘプバーンにスポットを当て、彼女がどのように自身のコンプレックスを乗り越えたのかご紹介したいと思います。「永遠の妖精」と呼ばれた彼女のコンプレックスに対する姿勢は、とても勇敢なものでした。

オードリー・ヘプバーンの生涯

本題に入る前に、オードリー・ヘプバーンという女性がどのような人物であったのかについてお話ししましょう。すぐにでも本題へ移りたい人は「こちら」をクリックしてね。

オードリー・ヘプバーン。彼女が生を受けたのは1929年、ベルギーの首都ブリュッセル郊外のイクセルという街でした。生まれたのはベルギー、母はオランダ貴族の出身でしたが、父の家系からイギリスの市民権を得て、イギリス人として育ちます。(そんな環境のお陰でオードリーは語学に堪能だったのだとか)

オードリーがまだ幼いうちに両親が離婚してからは、母に連れられてベルギーからオランダ、オランダからイギリスへと移り住んだ後、第二次世界大戦が始まる直前に母の故郷オランダのアーネムへと渡りました。これは先の大戦でオランダが中立の立場を崩さなかったことを受けて、「今度の大戦でも戦火を免れることができるのではないか」という母の考えによるものでしたが、その期待は裏切られてしまいます。

彼女は戦時下でオードリーという英国的な名前を隠すためにエッダと名乗り、また反ナチスのレジスタンス運動にも加わって、時にはメッセンジャーとして文書を運び、時には得意のバレエでレジスタンスのための資金集めを行っていました。しかし、戦争によってオランダが歴史的飢饉に見舞われると、彼女の家でもやがて食料は底をつき、ひどい栄養失調に苦しむことになります。

戦争が終わってアムステルダムへ移ったオードリーは、そこでバレエを習いながら3年ほど過ごし、1948年にバレエの師の勧めで母と共にロンドンへと渡りました。ロンドンでは著名な舞踏家の下でバレエを学んでいた彼女ですが、師の言葉(後述)を受けて稼ぎの良い女優業を開始。そして、1951年に当時まだほとんど無名だったにも拘わらず、映画『ローマの休日』の主演に抜擢されたことで彼女の人生は一変します。

1953年にアメリカで公開された『ローマの休日』によってオードリーはアカデミー主演女優賞を獲得し、その後も『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』など、後に名作と呼ばれる数々の作品で主演を務め、誰もが認める世界的な女優となりました。1967年に家族との時間を尊重するために女優業から身を引いてからも、周囲の期待を受けていくつかの作品に出演し、1989年まで女優オードリー・ヘプバーンであり続けました。

また、彼女はその生い立ちから、戦争や貧困に苦しむ子供たちに強く共感し、ユニセフでの慈善活動に尽力したことでも知られています。1988年に内戦の只中にあったエチオピアへの訪問を皮切りに、中東や中南米、アフリカなどを巡り、1993年の1月に亡くなるその4カ月前にもソマリアで子供たちの支援に当たっていたほどでした。このことからも、とても献身的な活動家であったことを窺い知ることができます。

戦争による貧困と恐怖の隣で育ったオードリーは、「最も偉大な女優」の一人に数えられるほど強く美しい女性へと成長しました。そして、晩年にはかつての自分と同じ境遇に苦しむ子供たちのために活動する人格者でもあったのです。彼女が今なお世界中から愛されるその真の理由は、そういった人間的な魅力にこそあるのでしょう。

オードリーは悩んでいた

永遠の妖精とコンプレックス

容姿にも人柄にも優れたオードリー・ヘプバーンですが、そんな彼女ですらコンプレックスに悩まされていました。その美貌を知る私たちには信じがたいことに、なんと「容姿」について苦悩していたといいます。四角い顔の輪郭、鼻の形、細長い首、高い身長、痩せぎすな身体、平らな胸、大きな足。これらが彼女の悩みの種でした。

1950年代のアメリカでは、当時の「セックスシンボル」であったマリリン・モンローを見れば分かる通り、丸い顔に高すぎない身長、ふくよかな身体と豊かな胸が「女性らしさ」と考えられていました。オードリーは特に現代の日本人に受ける容姿をしているので、彼女の内面に思いを巡らせてもその悩みを軽視してしまいそうになりますが、新作映画の撮影が終わる度に落ち込んでいたというのですから、切実な問題であったのは間違いありません。

他者や理想、または過去の自分などと比較して自身が劣っていると感じることを私たちは「コンプレックス」と呼んでいますが、これは心理学者アドラーが言うところの「劣等コンプレックス」を指しています。それを抱くこと自体は問題でないものの、劣等感が湛える負のエネルギーは時に活力を奪い、時に反社会性を育むような危険な側面をもっているのです。

そんなコンプレックスとどう向き合うべきか。「永遠の妖精」ことオードリーはどうしたのでしょう。

劣等感を乗り越えた銀幕のプリマ

彼女はコンプレックスを隠さず、むしろそれを個性として周囲に印象付ける努力をしました。まずはメイクです。濃いシャープな太眉と瞳を強調するアイメイクは彼女の特徴的な顔立ちと相まって、少女のような可憐さと清純さ、そして大人の女性の気品が同居する“他の誰とも異なった”彼女だけの表情を生みました。さらに彼女は、ファッションでも自身のコンプレックスであるスタイルを生かしてみせます。

『麗しのサブリナ』では終生の友人となるユベール・ド・ジバンシィに出会い、彼と共に自分に似合う衣装を追究しながらその類稀なセンスを発揮すると、彼女の細身のスタイルによって際立ったシンプルなファッションは世界中に衝撃を与えたのです。特に、オードリーが劇中で身に付けたジバンシィの洗練された白いイブニングドレスと黒い八分丈のスリムパンツは多くの女性を虜にし、以降それぞれ「サブリナドレス」「サブリナパンツ」と呼ばれるようにまでなったほど。そうして、彼女はファッションアイコンとしても注目を集めるようになりました。

オードリーがロンドンでバレエを習っていた頃、当時の師マリー・ランバートは彼女の卓越した表現力を認めながらも、その高すぎる身長と痩せた体形からプリマ(主役)にはなれないだろうとの懸念を口にしていました。しかし数年後、オードリーはそのスタイルを武器に誰もが羨む銀幕のプリマになってみせたのです。

そんな女優オードリー・ヘプバーンの成功は、決して運によるものではありません。彼女を知る者なら誰もが認める努力と、その努力によって培われたセンスによるものでした。メイクにファッション、バレエで鍛えた姿勢や立ち振る舞い。そんな“自分だけの美しさ”を磨いた彼女は、誰とも比べられない、比べることのできない個性を築き上げたのです。これこそが、彼女がコンプレックスを乗り越えた方法でした。

余談:マリリンも悩んでいた

オードリー・ヘプバーンと時代を同じくして、「Dumb Blonde(ダムブロンド)」というおバカでセクシーな金髪美女のイメージを確立したマリリン・モンローも、そのイメージと本来の自分とのギャップに苦悩していました。彼女がまだ本名であるノーマ・ジーンを名乗りモデルをしていた19歳当時の写真を見れば、なんと彼女の髪はブラウン。さらに、象徴的な口元のホクロもありません。

実はマリリンのブロンドの髪とチャームポイントであるホクロは、大衆が求めるセクシーな女性像を彼女なりに追い求めた結果生まれたものだったのです。しかし、その反響はあまりにも大きく、以降、大衆は彼女を「“女優”マリリン・モンロー」としてではなく「セックスシンボル」として崇め、彼女に性的な魅力ばかりを求めるようになっていきました。そして、周囲のそんな期待が彼女を苦しめたのです。

女優として有名になってすぐにMLBのプロ野球選手ジョー・ディマジオ(ヘミングウェイの小説『老人と海』で主人公サンチャゴがやたらとその名を口にすることでも知られる)と結婚したマリリンですが、新婚旅行先の日本でのすれ違いや、映画『七年目の浮気』でのセクシーな演出が原因で二人の関係は悪化。結婚生活はわずか9ヶ月で終わりを迎えることになります。

その後、「セックスシンボル」を脱するべく努めた彼女ですが、精神的に不安定な状態が続き、関係を改善したディマジオが支えるも、1962年、睡眠薬の過剰投与により36歳の若さでこの世を去ります。(ジョン・F・ケネディ大統領兄弟との不倫関係がスキャンダルされていたため、何かしらの陰謀に巻き込まれて暗殺された可能性も噂されているとか)

結末こそ違いますが、マリリンにもオードリーにも、その輝かしい成功の裏には人知れない努力と苦悩があったということを覚えておかなければなりません。誰かと比較してしまうことで感じるコンプレックスですが、その比較する相手、憧れる相手にもコンプレックスや悩みがあるのです。20世紀を代表する二人の名女優の苦悩に触れることで、「比べることの虚しさ」を知ることができたのではないでしょうか。

最後に:誰とも違う自分になろう

コンプレックスに悩んでいるのは「あなただけ」ではありません。誰もが理想と現実の狭間で頭を抱えているのです。しかし、誰かと比べることをやめた瞬間から、コンプレックスは個性へと生まれ変わるチャンスを得ます。それは万人に与えられるチャンスです。もしも、オードリーが大衆の好みに流され髪をブロンドに染めていたら?きっと「永遠の妖精」が生まれることはなかったはず。コンプレックスに悩んだときは、是非このことを思い出してみてください。

とは言え、外見の悩みは根深いものです。考え方の転換だけではどうにもならないまで心を痛めている方のために、もう一つの処方箋を提示させてください。

オードリーが自分をどう表現すれば良いのか苦心したように、「困難だけれど全身全霊で取り組めば達成できるであろう目標に集中している状態」を心理学者ミハイ・チクセントミハイは「フロー体験」と呼んで、比較する他者どころか自分すらも忘れてしまえる状態だと言っています。実は、これがコンプレックスを払拭するとても良い方法なのです。さらに、フロー体験は社会的な成功の礎になることが往々にしてあります。それを踏まえて、趣味や仕事に没頭してみてください。そうすれば、長い苦難の歴史に終止符が打たれるかも知れません。

オードリー・ヘプバーン。彼女が示した“コンプレックスとの付き合い方”が、皆さんの心を少しでも軽くしてくれることを願っています。

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