「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言うけれど。本当に必要な経験って何だろう
 この記事は近々リライト予定です。それまでは、文字だらけの少々味気ない記事のままですが、良ければぜひご覧になってください。

大学生のころ、駅近の小さい大衆居酒屋で2年ほどアルバイトをしていました。地元の東京で、飲み屋が多いことで有名な歓楽街です。当時、一回りも二回りも年下の私に、たくさんのお客さまが人生の教訓を語ってくださいました。

そこで、明るく陽気なおじさまから、やけにしかつめらしい話題を話すおじさままで、一様に口にする言葉がありました。それが「若いうちに苦労しといた方がいい」です。これは「若いときの苦労は買ってでもせよ」という成句でも知られる理屈です。

これには予てより違和感を覚えていました。怠惰な性分からではなく、理屈屋の悪癖からでしょうか。そこで、何かしらの啓発になることを期待して、今更ながら、この違和感の正体を探ってみようと思います。

苦労を奨励するのはいつだって年長者

かつての私が密かに眉をひそめていたのは、「苦労」が良いものだと語る人物が、誰も彼も自分よりはるかに年上であったからのように思います。「苦労」を強いる側がそれを奨励しているように見えたのです。今ならば、彼らの助言が、自らの後悔や成功体験を基にした、思いやりにも似たアドバイスだったとわかります。

しかし、これは学生アルバイトと居酒屋でお酒を嗜む社交的なおじさまとの話。社会に出れば、会社の上司が部下に強いる「苦労」を正当化するための謳い文句として、かつての私が感じていた通りの意味合いで耳にすることになります。

これは見事なポジショントークです。ですが、本当にそんな理不尽だけが、この言葉の真意なのでしょうか。

「苦労」と「努力」の違い

「苦労」とは何か

根本的な疑問ですが、そもそも「苦労」とは何でしょうか。我が家の本棚から国語辞典が無くなって久しいので、三省堂が発行する国語辞典『大辞林 第三版』より解説を抜粋してくださっているサイトのお力を拝借します。

物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力すること。また、あれこれと苦しい思いをすること

これは非常にわかり易いですね。どうやら苦しい思いをすることが一つ「苦労」の条件のようです。こちらのサイトでは小学館の『デジタル大辞泉』の解説も紹介されていますが、やはりそこを強調していました。この説明は私の中の定義とも一致します。

ですが、「苦労」の解説の中に「努力」という言葉が出てきました。これには少し疑問が残ります。私にとって「苦労」と「努力」は全く違うもののように思えるからです。ここに違和感の一因があるのでしょうか。

「努力」とは何か

同じように「努力」の解説を見ていきましょう。こちらも『大辞林 第三版』からの抜粋のようです。

心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。

なるほど。どうやら『大辞林 第三版』では「苦労」と「努力」はほとんど同じ意味としているようですね。少しだけ腑に落ちませんが、ここで『デジタル大辞泉』の解説も見ておきましょう。

ある目的のために力を尽くして励むこと。

おお、これは。私の欲しかった目的のためにという文言が出てきました。確証バイアスを自覚しながら話を進めますが、私の中での「努力」の定義がまさにそれなのです。

「苦労」と「努力」の違い

改めて言葉の意味を調べることで、私の中にあった「苦労」と「努力」の違いがはっきりしました。

「苦労」とは苦難を乗り切るために受動的に支払う労力で、それによって培われるのは忍耐力であり、「努力」とはある目標のために能動的に支払う労力で、それによって培われるのは集中力であると、そう考えていたようです。

ところが、実際はそこまで明らかな使い分けはされていないことがわかりました。つまり、おじさま方の言う「苦労」と私の思う「苦労」に認識の違いがあったのです。「若いときの苦労は買ってでもせよ」が、私の感じていたような、若者にただ忍耐を要求するような意味合いで用いられていたわけではない可能性を知ることができました。

これが違和感の正体だったのでしょう。

それでもやっぱり「努力」がいい

実を言うと、このブログを開設したきっかけは「苦労」ではなく「努力」をしよう!と思い立ったからでした。人並みに生きていれば、誰しも大変な目に合うものです。それらの多くは、きっと「苦労」と呼んでいいものでしょう。しかし、そのうちのいくつが「努力」と呼べるものでしょうか。

皆様の中には、日々、目標に受かって「努力」を続けている方も多くいることでしょう。私も、そういった人間の一人になりたいのです。

一つだけ断っておきますと、私は「積極的に行動しない奴は駄目だ」などと言いたいわけではありません。寧ろ、忍耐を要求し、それを礼賛する我々の労働観念に、ほんの少しだけ牙を剥きたかったのです。

目標に向かって「努力」する力を攻撃力とすれば、苦難を乗り切るための忍耐力は防御力となるでしょう。そのどちらを磨くことも「苦労」と表現できるとわかりました。ですが、やはり攻撃力を磨くために必要なのは目標であり、目標のための「苦労」こそが「努力」なのです。ならば、私たち若い世代が真にすべきことは、「苦労」ではなく「努力」ではないのでしょうか。

私たちを成長させるものは環境であったり、教育であったり、経験であったり、様々です。いずれにも優劣はないでしょう。しかし、目標をもって自ら進んで学ぶことほど、私たちを成長させてくれるものはないのではないか、改めてそう考えるきっかけになったように思います。

最後に

長々と書き連ねた拙文、お目汚し失礼いたしました。最後までご覧いただきありがとうございます。以降も「コラム」では、このような辛気臭い記事を書くことがあると思いますが、打って変わってポップな記事もたくさん発信していくつもりでございます。

皆様の琴線に触れるような記事を少しでも多く書けるよう精進してまいりますので、何卒よろしくお願い致します。では、最後に、今回の話題に関連して、私の好きな格言を一つ引用させていただきます。

あなたは30年の経験を積んではいない。1年間の経験を30回繰り返しただけだ。

J・L・カー『ハーポールの報告書』

2014年 IBCパブリッシング クリストファー・ベルトン 渡辺順子訳 『世界文学の名言』P57
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